小説家になろう(http://syosetu.com/)にて、活動しています。作品の更新告知を主としますが、書きたいように書きます。
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

生存報告は死亡報告
2010年09月05日 (日) | 編集 |
こんにちは、要徹です。
かなりの間更新が滞っていましたが、しっかり生きてます。

違うんや、Twitterが便利すぎるのがあかんのや!
Twitterは程良く愚痴を吐くのに適しておりまして……ははっ。

閑話休題。

ほとんど更新されていなかったブログで「生きてます」なんてタイトルで
たまーに更新されていたりしますけど、あれって死亡フラグびんびんですよね。
その後、彼の姿を見た者は誰もいなかった、みたいな。
大抵の場合、更新してからまた姿を消すんですよね。

あ、そうそう。
こちらの方に更新告知をしていませんが、二、三の小説が更新されています。
お暇があれば読んでみてください。
才能の必要性
2010年08月01日 (日) | 編集 |
最近多いんですよね。

「才能がないから書くのやめる」

って人。

そう言う人ってね、本当に何の力もない人なんだなと思う。
自分が好きでやっているはずなのに、

評価をされない。
評価を貰ったけど批判は止めてほしい。

とか、馬鹿みたいな理由でヤル気をなくす。

もう本当ね、馬鹿らしい。

そもそも、小説家になりたいから書いているんじゃ、上手くいくはずがないんだ。
私からすればそれは動機不純ってもんです。
脳内で作り上げた物語を形にしたいから小説を書くんです。

それで、尚且つ作った物語を世に広めたいからネットにアップロードしたり
同人誌を作成して、それに掲載したりしているんです。

そういう活動をしていても、あまり評価を下してはもらえません。

当たり前なんですよ。

評価されるに値する作品じゃないんですから。

自分たちだってそうのはずです。
何とも言えないような、それこそ「感想」を抱けない作品に出会った時
そんなものに感想が書けますか? 評価が下せますか?

読者は何も悪くないんですよ。
悪いのは作者。
それを作品のせい、読者のせいだというのは筋違いってもんです。
どこが悪いのか分からないなら、自分の作品を100回読み直してみると良いです。

それで、才能の話ですけど、そんなもの必要ないんですよ。
ないからやめるっていうなら、もう初めからやらなきゃ良いんです。
結局は努力と継続が必要になるんです。

それすらも才能だというなら、もう私は何も言いません。
どうぞご勝手にって感じです。

己の好きなことすら継続できないなら、何もできないと思いますよ。
彼はどんな人なのだろうか
2010年06月24日 (木) | 編集 |
彼、すなわち要徹だが、彼は本当に小心者である。
ノミの心臓とは良く言うが、彼の心臓はそれ以上に小さい。
そうだな、例えるならばミジンコの心臓だろうか、それほど小さい。

さらに言うならば、「石橋を叩いて渡る」ということわざがあるが、彼の場合は

「石橋を叩いて砕く」だ。

恐れず渡っていれば無事でいられるものを、わざわざ己から叩き壊すのだ。
彼は、正真正銘の阿呆だろう。

だが、その反面、異常なまでに積極的になることがある。
何かが吹っ切れているのだろうか、今までやったことのないことに首を突っ込んでいき
見知らぬ人にも挨拶をし、電話セールスと和気あいあいと話をしてしまう。
――後に彼から訊いたところ、人恋しいから、という回答が得られた――。
つまり、彼はただのさびしがり屋なのだ。
まったく、笑ってしまう。
こんな馬鹿野郎だが、愛してやってほしい。

オチはない。むしろ、これがオチだ。
 
ペンネームの由来について
2010年06月23日 (水) | 編集 |
ふと、自分のペンネームの由来とは何だったかなと思った。

小説を書き始めるまで、ペンネームがなかった私は相当に悩んだ。
どれを考えてもピンとこなかったんだなぁ。

それで、親が私につけるはずだった名前を訊いたんだったかな。

で、親から「要(かなめ)」「徹(とおる)」どちらかにしようと考えていた。
という話を聞いて、どうせなら両方使ってしまえと思いついたんだと思う。

そして要徹(かなめとおる)というペンネームができましたとさ。


よくよく考えて
2010年06月22日 (火) | 編集 |
思えば、小説を書き始めたのが2008年の12月末。
初作品(原稿用紙140枚程度)が完成したのが2009年1月末。
初めて作品が完成した時は、本当に嬉しかったなぁ。
嬉々として作品を見せて、とんでもないくらい渋い顔をされて、

「お前全部書き直せ」

と言われたのも今となっては良い思い出。
でも、よくよく考えてみれば、その言葉がなければ、今私は小説を書いていないと思う。

元来、私は褒められて伸びるタイプではない。
むしろその逆で、叩き落とされて伸びるタイプだ。

そう、獅子が我が子を谷底へ突き落すように!

全部書き直せ、と言われた時の私と言ったら、本当にひどかった。
どこが悪いのかも分からないし、自分の持っている力を全て出したつもりだった。
それなのに認められなかった。
半端ではないくらい混乱した。

それから、私は同じ作品をもう一度書きなおすべく、推敲を始めた。
確か、推敲を終えたのが2月の中旬だったと思う。
それをもう一度書き直せと言った人の元へ持っていき、評価を受けた。
すると、

「後半書き直した方がいいんじゃないの?」


と、またも辛らつなお言葉。

その作品の推敲はそれで終わってしまいましたが、間違いなく次への糧になりました。
それに加えて、自分は怒りが原動力となるのだ、ということを知りました。

私にとって、辛らつなお言葉はご褒美なのです(`・ω・´)

そう、まるで変態紳士!

ゲフンゲフン……。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。