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キャラクタと物語
2010年11月16日 (火) | 編集 |
 最近、いや、今に始まったことじゃないかもしれませんが、ライトノベルというものが劇的な人気を博しておりますね。「狼と香辛料」「灼眼のシャナ」「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」「とある魔術の禁書」などなど。ライトノベルは紙媒体の枠を飛び越えて、今や映像化が当たり前の時代になっています。

 では、何故にこうもライトノベルが人気なのでしょうか。ぱっと見ただけで考えられるのが、登場人物(キャラクタ)の可愛らしさではないでしょうか。書店などで表紙を見てみると、実に目を惹く可愛らしいキャラクタが前面に押し出されて、購買意欲をそそるというものです。

 等と言いつつ、実は筆者、ライトノベルをほとんど読んだことがありません。先程例として挙げた「狼と香辛料」の一巻だけと、「とある飛空士への追憶」を読んだだけであります。では何故、キャラクタが人気の秘密であると考えたのか。それは、読者の感想です。

 友人にライトノベルの感想を訊くと、大概「○○というキャラクタが可愛かった」「○○超強いよね」等と、キャラクタを褒めるものが大多数なのです。肝心の物語は? と問いたいところなのですが、場の空気をぶち壊しそうなのと、ファンに叩かれるんじゃないかという恐怖から、未だに訊けずじまいです。

 さて、そろそろこの記事の本題へ入りましょう。
 ここから、筆者の主観だらけでお話をさせていただきますので、続きは追記に書かせていただきます。気になる方だけ、「Read More」をクリックしていただければと思います。




 では始めましょう。

 先述しましたように、キャラクタは小説の人気の一角を担う、とても重要な要素であります。しかし、筆者の友人がそうであるように、物語ではなくキャラクタにばかり評価が偏るのは、どうも頷けません。小説の楽しみ方は人それぞれでしょうが、キャラクタを楽しみたいのなら大人しくアニメを見たり、漫画を読んでいたりすれば良い話です。キャラクタを前面に押し出すということは、別段小説でなくとも可能な話です。むしろ、漫画やアニメの方がよりキャラクタを楽しめますし、外見なども明確になって面白いでしょう。

 確かに、面白い小説を書く為、読者を楽しませる為に「魅力的なキャラクタ」は必要不可欠でしょう。別に魅力的なキャラクタを書くことを否定しているわけではありません。もちろん、ライトノベルの存在を否定するわけでもありません。ライトノベルには、ライトノベルなりのやり方があると思っています。ただ、比重が間違っている、と筆者は言いたいわけです。結局のところ、作者はどちらを魅せたいのだと。

 ここで筆者の考えを述べさせてもらいますと、キャラクタはあくまで「物語」を構成する「部品」であり、円滑にことを運ぶ為の「道具」でしかありません。ある方が上手い例えをしてくれたので、ここに挙げておきます。

『いい脚本のために役者を選ぶのであって、役者のために映画を作ったりはしない』

 つまり、筆者としてはキャラクタ(役者)よりも物語を魅せたいわけです。そんな中でキャラクタを評価されれば、ちょっと悲しい気持ちになってしまいます。「私が魅せたいのはそっちじゃない。物語を評価してくれ」と思うわけです。もっと掘り下げて言うならば、「物語」が完成形なのに「キャラクタ」という部品を評価されている。そんな感じです。

 要するに、キャラクタは小説を書く上で必要だが、別段魅せるべき要素ではなく、縁の下の力持ちであるべきなんです。もちろん、キャラクタを作り上げることが作者にとっての完成であるなら、それはそれで良いでしょう。ただ、筆者は同意できません。筆者の考えは、小説とは「物語」を楽しむものであり「キャラクタ」を楽しむものではない、これだけです。

 と、ここまでつらつらと書きましたが、不愉快に感じられた方も多いことでしょう。ここに書いた全ては筆者の主観であり、これが正解ではありません。小説は、一人一人が、それぞれの楽しみ方をすれば良いのです。どうか、筆者の考えに楽しみ方が左右されませんよう。

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